「さくらや、から吉村屋へ」
▲旧別館入口
吉村屋の一代目は「栗本代吉」といいます。
行商を営んでいた代吉は明治元年頃今の場所に腰を落ち
着け「旅籠」を始めたといいます。
旅籠の前にはそれはそれは大きな桜の木があったそうで、
吉村屋はお客様から「さくらや」とよばれていました。
商売が軌道に乗り始めると、代吉は自らの名前の「吉」を用い、
神土村(現在の東白川村)に“吉”を呼ぶ仕事がしたい、という志
を立て、「さくらや」から「吉村屋」としました。
その後東白川村は御岳参りの宿場として栄え、
二代目の稲次郎の時代には多くの旅人に利用されることとなります。
稲次郎は今ではあまり使われない木材を使用し、
趣のあるこだわりの別館をつくるなど革新的な人だったといいます。
三代目の勇一は旅や登山など多くの趣味をもち、天真爛漫な人でした。
その後、四代目の勇が戦争に赴き一時吉村屋は営業できない状況となりますが、終戦後、勇が戻り商売を再開し現在は六代目となっております。
▲四代目勇、旅館西側の桜並木で
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▲旧旅館建物
吉村屋には「“吉”を“村”に呼ぶ仕事がしたい」という
代吉の想いが込められています。
各地を渡り歩く行商をやっていた代吉にとって、
この土地に対して、また一つの場所で生きるということに特別な想いがあったに違いありません。
代吉が始めてから150年近くに渡りこの場所で商売をさせていただいております。
私どもの商売は簡単には移動することは出来ず、
周りが潤えば私たちも元気になる植物の様な存在といえます。
一方で、吉村屋が一生懸命に頑張り元気になれば、
微力ながらもこの地域に活力を与えられるのではないだろうかと思うのです。
今は、東白川村のために私たちが出来ることは何かを
常に考えて実行していかなければなりません。
これからも、吉村屋は代吉の志を大切にして
地域に吉を呼ぶような仕事をしていきたいと考えています。
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